どんなときも、自分が自分でいいと許す。

どんなときも、自分が自分でいいと許す。

いつ、なんどきも、「精神面の強さ」がとても大切。

だけど強くなるとは、そもそもどういうことなのか。

何ごともポジティブにとらえ、前を向いてアクティブに生きていくこと。

言葉としては、そんな感じ。

 

ところが、実際は、それを24時間365日キープできる人なんてほとんどいないハズ。

どんな前向きな人でも、傷ついたり落ち込んだりすることが、きっとあるハズ。

 

では、それでもいつも前向きにポジティブに生きてるように見える人たちは、一体、何が違うのか。

 

かつて、それは「自分を貫く強さ」なんだと思っていた。

 

たが今は「自分を受け入れる力」なのではと、思うようになった。

 

たとえば、やりたいことがあって、それに向かって行動する。

それがクリアな精神で行われていれば、それは健全。

 

だがそのプロセスで「何か違うな」と感じることが出てきたとする。

 

そうすると、まず頭と心が分裂して悩みはじめる。

 

なぜだ。

これで合ってるハズなのに。

どうして違和感があるんだ。

 

どれだけ理屈で考えて、想いを貫こうとアレコレ模索しても、心はもうまったくついてきません。

「自分で決めたことだから」と固執するほどに、何が正解なのかサッパリ分からなくなってくる。

 

それでも、初志貫徹する。

それが強さだと思っていた。

 

だから途中で迷いが生じたときは、自分を奮い立たせた。

 

いや。これで正しいハズなんだ。自分で決めたんだ。

自分に言い聞かせて、無理にでも貫こうとしてきた。

 

しかし、そうすることにより本意ではないところで誰かを傷つけてしまった。

あるいは「幸せになるには犠牲を伴う」という思い込みを持つようになってしまった。

 

そうやって、自分の本当の気持ちにフタをしてしまった過去というのは、後を引く。

 

もっと他のやり方ができたのではないか。

私がもっと、うまく立ち回れたのではないか。

あの決断は、本当に合っていたんだろうか。

 

過去について考えてもあまり意味がない。

「その時は、精一杯の自分だった」と、浄化するようにはしている。

 

だがそれでも、そうやってきた自分のやり方がは、少なくとも今の自分は望んでいないとハッキリと思うようになった。

 

周りに追い込まれたり、後に引けなくなった自分なんて、偽りの自分だ。

そんな自分を貫き通す義理など、誰に対してもあるわけない。

 

あれは、間違った「強さ」だった。

ただの意地の強さだった。

 

悩んでるなら、声をあげる。

困っているなら、勝手に決めない。

 

そうやって、他人と一緒に考え、前に進む。

そうやって、自分の想いも、他人の心も大切にする。

 

そんな方法をもっと真剣に考えて、共存していくべき。

 

妥協ではなく。依存でもなく。

共存を、目ざすのだと。

 

今はそんな風に思っている。

 

もし、あなたが自分で決めたことをに「本当にコレでいいのかな?」と迷いはじめたら。

ちゃんと立ち止まる勇気を持とう。

 

そして、そのために必要なのがそうやって立ち止まる自分もアリだと許してあげること。

 

一回決めたことを、また悩んでしまっている自分も「それでいい」と認めてあげる。

 

悩んじゃったんだね。自分。

そんなこともあるね。仕方ないね。

 

一生懸命、考えた結果で、絶対にコレが正しいと思ったけどやっぱり、まだ悩んでるんだね。

 

もし、違うなってことなら、やっぱり違ったなーで、いいじゃない。

 

それが自分なんだし。

 

懸命に、思考錯誤して前に進もうとしてる。

そんな自分、いいじゃないって。

 

もし、その悩みに他者が関係するなら「こう思ったけど、違うかもしれない」とありのままに伝えてみる。

 

伝えるのも違うなって思うなら、答えが出るまで他の楽しいことしながらちょっと放っておいてみる。

 

とにかく頭の中でグルグルと考えるのをやめて、何か次のアクションをとる。

 

そしたらきっと、答えがどこからかポンと出てくる。

最高の道が、見つかる。

 

一気に、背負っていた何かがストンと落ちる。

そんな自分が、また前より少し好きになれる。

 

最近ちょっと、深いね、精神世界が。苦笑

 

何か、悩んでることがあったり、悩んでる自分に落ち込んでたりしている人がいたら。

 

どうぞ、そんな自分も別に悪くないんだって認めてあげてください。

 

そうしたら、すごく楽になるよ。

 

絶対に、道は開けるから。