没後50年 藤田嗣治展(京都国立近代美術館)

没後50年 藤田嗣治展(京都国立近代美術館)

「私は世界に日本人として生きたいと願う。」

パリで活躍した日本人画家、レオナール・フジタこと藤田嗣治の一生をおった回顧展。

10/19(金)から京都国立近代美術館でいよいよ巡回展がはじまった。

【公式】没後50年 藤田嗣治展

ひとあしさきに東京都美術館でみたので、みどころをまとめた。

没後50年 藤田嗣治展 みどころ

没後50年 藤田嗣治展の概要

展覧会は8つのパートにわかれ、ほぼ時系列でフジタ(藤田嗣治)の一生を追っていくという大規模なもの。

フジタが何を考え、あるいは感じ、どんな行動とともにどんな作品を描いたのか。

作風の変化がいちじるしいこともあり、そういった変遷がよくわかる構成になっている。

 

フジタの人生は、大きく5つの時期にわけることができる。

  1. 日本に生まれそだった幼少期〜青年期
  2. 「乳白色」シリーズで高い評価をえたパリ開花期
  3. パリでの評判をすて、新しい自分を模索して旅にでた放浪期
  4. 第二次大戦により一時帰国した日本期
  5. レオナール・フジタとして完成した最後のパリ期(米・カナダ経由)

それぞれの時期に、どんな作品があり、どんなだったか?という一つ一つの作品のことは、見にいってのお楽しみ。

なにせフジタの一生がほんとうに透けてみえるほど充実した展覧会なのである。

ここでは、フジタと展覧会のなにがそんなに凄かったのか?

見にいくのが楽しみになってほしいという願いで、鑑賞ポイントだけをまとめていく。

藤田嗣治からレオナール・フジタまでの変遷。

芸術家というのは、過去をすててあたらしい自分を模索していくもの。

だとしても、これがほんとうに一人の人間が描いた作品なのか?

また変わった。

さらに変わった。

さきほどの、(作品の)おもかげはいずこ?

一体どうなっているのか。

 

東京都美術館は3階建て。

ロビーのある地下からはじまり、1階、2階とのぼっていく。

エスカレーターでフロアをのぼるたび、まるで別のアーティストの展覧会にきたような気持ちにさせられた。

それほどまでにクッキリと作風が変わっていく。

だがそれが一人の人間がかいたもの。

だとしたらそれは「変化」ではなく「進化」である。

自分が何者なのか、何を表現したいのか、何を伝えられるのか、どうやって伝えるのか。

少ししずつ、だが確実に、深くなっていく。

どんどん確信に近づいていく。

そうやって、ひとりの芸術家の一生を、まるで旅するように体験できる。

 

今回、目玉になっている「乳白色の裸婦」シリーズ。

世間からひろく認められたこととはうらはらに、裸婦は皆うつろな目をしている。

パリにいき、フジタは学ばなければならなかったし、認められなければならなかった。

どうにかして自分のスタイルを確立し、認められ、食べていかねばならない。

そういった模索のなかで創意工夫をこらし「これはどうだろうか」という想いで描いた。

そんなフジタの試行錯誤ぶりがうかがえた。

 

だが注目すべきは、このあとのフジタの行動。

やっとのことで評判をえたパリを離れ、旅にでる。

せっかく確立したスタイルを、彼はいちど手放すのだ。

その行動にも驚くが、作品をみていると、なんとなく理由がわかる気もする。

 

「静」から「動」

「モノトーン」から「カラフル」

「葛藤」から「旅立ち」

 

作品たちに生命(いのち)が吹き込まれた。

「乳白色」シリーズにはなかった躍動感が、そこにあった。

作品になっているモデルたちは、どの人物も動物も、今にも動き出しそうだった。

完成したテクニックを捨てたことで、フジタは自分の生きる道への確信を深めた。

そんなふうに見えた。

 

それ以降、何を書いても「フジタらしさ」がにじみ出ている。

「乳白色」は、テクニックだった。

だがそのテクニックにたよる必要もなくなったという感じ。(ふたたび使うことはあっても)

表面的なテクニックがなくても、ディテールすべてに「らしさ」があるからだ。

ここまでくると、何を描いても「スタイル」がにじみ出る。

 

やはり圧巻は、戦後のパリ。

ここで描かれた作品は、スキがない。

どれを見ても、ディテールまで意図がある。

情報量はかなり増えている。

ひとつの作品のなかで多くのことが語られる。

だがどこにもスキはない。

すべてのものが綿密に、精巧に描かれていた。

何度もため息がでた。

もはやすべての対象物を「昇華」してしまっているように思えた。

 

人によってそれぞれ、感じかたはちがう。

だから、どの時期がいいとか、好きだとか、そういうものは個人の好みだ。

だがとにかくこの「変化」と「進化」を、すみずみまで堪能してほしい。

 

藤田嗣治とフジタ。肖像画をみつめて

パリをはじめ世界で名声をえた日本人画家。

そういえば、聞こえはいい。

だがそれは、祖国で評価されないことに苦しみつづけた歴史でもある。

そんなフジタが多く残したのが、肖像画。

今回の展覧会でもたくさん紹介されている。

日本にいても、理解されなかった。

だからパリに行った。

だがパリにいけば、やはり日本人でしかない。

そんな自分は、何者なのか。

居場所や存在意義を、さがし続けるなかで描きつづけた肖像画。

 

わたしは世界に日本人として生きたいと願う。

このセリフを、いったいどんな気持ちで放ったのか。

国際人として生きていくには、持って生まれたアイデンティティをすてることは本来できない。

世界に生きるには、日本人として生きるしかないのだ。

 

そんなフジタが、何者でもない「フジタ」であろうとした。

日本人らしくも、欧米人らしくもない。

自分という人間をどう見せるか?をきめる広告としての肖像画。

そこから自分の本来のすがたを探していった。

そんなことも言えるのかもしれない。

 

数々の肖像画にはぜひ注目してもらいたい。

 

藤田嗣治と戦争。

フジタは2つの大きな戦争を体験している。

さいしょのパリで、第一次世界大戦。

つぎのパリで、第二次世界大戦。そして帰国。

いちど帰国してから日中戦争のあった中国にもいっているから、正確には3つ。

 

第二次世界大戦で太平洋戦争がおこったとき、フジタは戦争画をかいたという。

命の躍動は、それがネガティブな方向であっても、ときとして芸術家のこころをとらえるのかもしれない。

ここでもフジタが新しいジャンルの新しい作風に挑んでいることは注目すべきポイントである。

日本に認められたくて、率先して描いた戦争画。

一方で「歴史」を絵にすることに夢中になったと言われてもいる。

そもそも戦争画とは「戦争の正当化」のためのプロパガンダだと言われている。

つまり国民の戦争意欲をかきたて、一体感をもたせるためのもの。

フジタはそれを意図していたのだろうか。

あまりの芸術性の高さに、そこには疑問が残った。

見るものの心を戦争にしむけるような、そんな空気は、少なくとも私は感じなかった。

 

敗戦後、フジタの立場は一転する。

戦犯責任を問われてしまう。

日本に居づらくなったフジタはふたたびパリへ向かう。

そして藤田嗣治あらため、レオナール・フジタとなる。

祖国日本にもどることのないまま、パリで一生を終える。

 

フジタの一生は、戦争とともにあったといっても過言ではない。

戦争があったから、さまざまな国へと旅をすることにもなった。

時代に翻弄されながらも、必死で生きたフジタの姿にも注目したい。

 

以上、没後50年 藤田嗣治展についての、みどころを書いた。

行くか行かないか、まよったりしていた方などは、ぜひ参考にしてもらえたらと思う。

 

だがいずれにしてもアートというのは、じっさいに見て感じてもらうことが一番いい。

私の書いた見どころは、あくまで私の感じたこと。

書いておいてなんだが、ぜひそれを鵜呑みにすることなく、みずからの純粋なこころで向き合ってみてほしい。

 

京都国立近代美術館での京都展は、2018/12/16(日)まで。

没後50年 藤田嗣治展(京都国立近代美術館)