ジブリの小冊子「熱風」6月号は、高畑勲さん追悼特集。
ジブリ小冊子「熱風」6月号 追悼 高畑勲
表紙は高畑さんが監督(演出)された「太陽の王子、ホルスの大冒険」。
目次には高畑さんに寄せられた追悼メッセージを送った幅広い関係者がズラリ並ぶ。
本当に様々な方の高畑さんとの思い出をおすそ分けしていただき、高畑さんの凄さやステキな人となりを今さらながら知ることができ、それについては嬉しかった。
やはり、その中でも取り立てて宮崎駿さんの言葉は、このうえなく切なく胸が痛くなるものがあった。
どのような気持ちでこの日を迎えたのかと思うと、いたたまれない気持ちになる。
高畑勲という人が天才・宮崎駿をどれほど支え育ててきたのかということをうかがい知ることができた。
高畑 勲を偲んで(宮崎 駿)
高畑さんの愛称「パクさん」がどういった言われでつけられたのかという説明を前置きとし、本筋はこんな言葉ではじまる。
パクさんは95才まで生きると思い込んでいた。
高畑さんとまだまだ一緒に仕事がしたかったという気持ちが現れている。
ずっとずっと自分の傍には高畑さんがいるものだし、いてほしいと。
今となっては上司と部下というような関係性ではないわけだが、それでもどれだけ心の支えだったのかがわかる。
そして肺に問題があり主治医からのアドバイスで鈴木さんと宮崎さんが禁煙をすすめたエピソードへと続いていく。
このエピソードについては高畑さんご本人も著書「アニメーション、折にふれて」の中で語っており、それを含めた禁煙にまつわるエッセイが非常におもしろくまとまっている。興味のある方はぜひ読んでみてほしい。(末尾にリンクあり)
こうして現在の高畑さんへのメッセージを軽く伝えたあと、場面は55年前にタイムスリップする。
ここから最後まで、東映時代の話を中心に高畑さんのエピソードが語られる。
バス停で高畑さんに声をかけられ出会った日のこと。
高畑さんが大塚康生氏と組んで「太陽の王子 ホルスの大冒険」作ったときのこと。
のちに「太陽の王子」の関係者でのちに集まったときのこと。
そして最後はこう締めくくられる。
パクさん ぼくらはせいいっぱいあの時生きたんだ。
膝を折らなかったパクさんの姿勢はぼくらのものだったんだ。ありがとうパクさん。
55年前に、あの雨あがりのバス停で声をかけてくれたパクさんのこと、忘れないよ。
「膝を折らなかった」話については末尾リンクより全文を参照されたし。
何ごとも最初に成し遂げた人の凄さというのは別格だ。
宮崎さんはアニメーション映画の世界で多くことを成し遂げてきたが、それは高畑さんが東映時代に切り開いた数々の功績あってのことなのだ。
そんな宮崎さんの高畑さんにたいする憧れとも言える強い想いを感じずにはいられない。
宮崎さんらしい少年のように純粋な言葉。
「もうあまり時間がない」なんて言わず高畑さんと作り上げたレガシーをできるだけ長い間この世で放ちつづけてほしいと切に願う。
と同時に、少しでも心穏やかに安らかに高畑さんを想える日が増えていくことを祈るばかりだ。
高畑勲の凄すぎる経歴
ここであたらめて目を通すと本当にすごいのが高畑さんの経歴だ。
ゲゲゲの鬼太郎、もーれつア太郎、ルパン三世、母をたずねて三千里、未来少年コナン、赤毛のアン、じゃりン子チエ、セロ弾きのゴーシュ、アルプスの少女ハイジ・・・。
日本の歴史にのこるアニメにはほとんど絡んでいるのではないかという印象。
これからもずっと、アニメーションの歴史が高畑さんの作品とともにあるということを何より証明している。
高畑さんのアニメーションの凄さについて、素人にもわかるよう面白い考察をしてくれていたのがインテリ芸人としても知られる太田光さんのメッセージ。
追悼・高畑 勲監督(太田光)
太田さんは、テレビアニメとともに育った世代として大人になって気づいた高畑さんと宮崎さんのアニメと他のアニメとの違いについてこう語っている。
日常で当たり前に見ていることを、アニメーションで再現しているのはお二人だけだった。
役者でもお笑いでも、表現のうえで重要なのはそのときの “しぐさ” なのだという。
(前略)体の形。表情。眉毛の位置。目の開き方。足の開き具合。膝の曲げ具合。手の位置。しぐさが重要である。
そして高畑さんのアニメではいつも”しぐさ”が語られているという。
しかも、
人間や動物だけじゃない。風邪がどう吹くか。服がどうたなびくか。草がどう揺れるか。水がどう流れるか。船がどうすすむか。雲がどう流れるか。といった自然のしぐさも見つけだし表した
これは私がいつもジブリ作品の「ディテールの素晴らしさ」として語っていることであり、それを語る太田さんの表現の美しさにも感動しつつ、深い共感を覚えた。
高畑監督は必ず作品の中で ”世界のしぐさ” を見つけだし、絵で表現している。しかも動作で。世界のしぐさを表現出来る人は、世界は何か?を知る人だ。線や言葉は減り、ストーリーはシンプルになった。
だがここでも最後には高畑監督の温かい人柄がうかがえるエピソード。
「かぐや姫の物語」が完成したころ高畑さんと会ったという太田さん。
一番見てほしいのは、ラストシーンだ。と誇らしげにおっしゃったのをよく覚えている。納得のいくものが描けた。と。
なんとなんと、魅力的な方だったのだろうか。
今になって、もっともっと高畑さんへの想いを強くせずにはいられない。
そして、本業ではないながらやっぱりスゴいのが高畑さんの著書。
『漫画映画の志』のこと(井上一夫)
高畑さんの著書「漫画映画(アニメーション)のこと」の編集をされた井上一夫さんのメッセージ。
一冊の本を作るという長期間にわたる作業を通して、高畑さんの素晴らしい洞察力とお人柄がよくわかるエピソードがたくさんあり、心温まった。
あとで知ったことがだが高畑さんは作りたい映画がなかなか作品にならない時期があったのだそうだ。
作品のブランクが長かったのはそのせいで、逆にその時期にはたくさんの書きものをしたのだそうだ。
なにせ「自分はプロデューサーに向かない」というだけでノート1冊分書いてしまう人だ。(鈴木敏夫著「仕事道楽」より)
頭の中はさまざまな事柄に対する深い見識で埋まっているのだろう。
高畑さんの本は、同じジブリ監督の本でも宮崎さんの本とはまた違う。
宮崎さんの本はインタビューがまとまったものや対談が多い。
だが高畑さんの本は、あるトピックに対して(もちろんアニメーションに関わる)独自の研究や考察そして見解が述べられた「論文」とも言える作品なのだ。
まだまだ未読のものがあるので、これからじっくりお近づきになれればと思っている。
高畑さんのすごさはこれだけではない。
なんでも深く分析する人だから、音楽への造詣も当然たいへん深いということなのだ。
それがよくわかったのが久石譲さんと二階堂和美さんのメッセージ。
またいつか、どこかで(久石譲)
久石譲さんは高畑さん音楽への解釈の深さや理論の深さについてこんな風に語っている。
すべての作品で、使うべきところに過不足鳴る音楽が入っている。作曲家の目から見ても、音楽のあり方が非常に的確なんです。世界を見渡しても、こんな監督はいないと思います
高畑さんは理論的な方だから、必ず「なぜ」を聞きます。
だが高畑さんの本当のすごさはこの「理論」だけではないのだという。
われわれ作曲家もそうですが、多くの人は、理論的な思考と感覚的なものとの間で葛藤しながら、ものを作ります。でも高畑さんはそこの折り合い方がすごく自然で、自由だったんだと思います。
楽しいこと、おもしろいことに対して素直に喜ぶ。そこに基準を置きながら、理論的、意識的な活動と、感覚的なものを両立していた。それが高畑勲という人だったんじゃないでしょうか。
こういう面については、鈴木さんの口からもあまり語られていなかったため非常に印象深かった。
そんな高畑さんについて久石さんはこうも語っている。
僕の中で高畑さんは、「大きな磁石みたいな人」というイメージがあります。ドンとそこにいるだけで、まわりに才能のある人が集まってきて、いろんなことが始まっていく。
僕にとって、宮崎さんが憧れの”お兄さん”のような人だとしたら、高畑さんは”理想の人”です。
この表現には強く共感を覚えた。
それは二人の持つ天才性の違いのせいだと思う。
二人ともが別々の輝きを持ち、どちらも魅力的であることは間違いない。
だが宮崎さんのもつ天才性はメジャー感を兼ね備えたエネルギッシュな爆発だが、そのエネルギーが人に誤解を与えることもある。
だからこそ鈴木さんがプロデューサーとして宮崎さんの魅力を噛み砕く必要があったし、そうして初めて彼の本当の魅力がわかった人も多いだろう。私もその一人だ。
一方の高畑さんのもつ天才性はマニアックながらも静かで、どこか温かみがあるのだ。
どちらがクセがあるかと言えば高畑さんなのかもしれないが、少なくとも何故か高畑さんからは人としての温かみが滲み出ているように思う。
仕事や人間関係や、いろんなことで悩むとき、(中略)、最後にはやはり「高畑さんならどうするだろう」と考える。
ちなみに中略した文には「『○○さんならどうするだろう』と考える」とあり、宮崎さん鈴木さん養老孟司さんの名前が挙げられている。
ものごとを奥の奥まで見つめる分析脳。とことん、あらゆる方位から分析する。
と同時にそれらを昇華するたしかな感覚をしっかり持ち合わせる、まさに天才。
それでいて温かい人柄で人からも好かれるという高畑さんの素晴らしい人物像がよくわかるメッセージだった。
最初で最後のデート(二階堂和美)
二階堂和美さんは高畑さんの最後の作品となった「かぐや姫の物語」で主題歌を担当されたシンガーソングライター。
メッセージはそののち「高畑勲がつくるちひろ展」を見に行った際に二人で会ったときのことが中心に書かれている。
あくまで個人的な思い出が語られたものではあるが、高畑さんのお人柄が伝わってくる心温まるものだった。
おもしろかったのはそのあとのエピソード。
国歌斉唱の仕事依頼があり、受けるかどうか迷った二階堂さんは高畑さんに相談したのだそうだ。
そのときの高畑さんの返信が素晴らしい。
二階堂さんは君が代が好きですか、もし好きなら歌えばいいと思います。特に好きというわけでもないなら、アカペラで二階堂さんが唄って、個性的な良さが出る可能性があるかどうかを考えるべきだと思います。
これには参った。
いつどんなときも、ものごとをきわめて理論的に考える高畑さんだが「まず好きかどうか」が一番上にくるのだ。
さらに、このあとに続く「君が代」に対する考察。
あの歌は、歌詞にメロディーをつけた歌なのに、その関係がデタラメで、こんな歌は伝統的な日本の歌には見当たりません。(中略)ただ、スポーツで優勝したとき流れる国家のうち、メロディーとしては、大部分が建国の行進曲調なのに対し、君が代は非常にユニークなので、その展ではなかなか面白いと思います。
理論的に分析するとデタラメな所はあるが、感覚的にみれば一概にダメというわけではない。
なんという的確かつ偏りのない考察なのか。
こういった柔軟さが、久石さんもおっしゃっている「理論と感覚のバランスの素晴らしさ」なのだろうと感嘆せずにはいられなかった。
そして、久石さんが「高畑さんだったらどうするか考える」とおっしゃっていたことに対して、二階堂さんも「私も同じ」だと語っている。
音楽家というのは、感性で音楽を表現しているように思われるが、実際は違う。
理論なくしては感覚は語れないのだ。
だが同時に理論だけに偏れば、音楽は「聴く人」から離れ、ただの自己満足になってしまう。
技術が高い人でも、そういったことを理解している人は本当に少ないのだ。
それを理解した一流の音楽家たちが、こぞって参考にしたいという高畑さんのものの考え方。
これからいっそう深く高畑さんの作品や著書に触れていこうと固く決意した。
前略 高畑 勲 様
高畑さんが亡くなってから「お別れ会」までの間に、ちょうど神戸の「ジブリの大博覧会」に行った。
会場では「お別れ会」にむけてファンからのメッセージカードを募っていた。
周りにたくさん人がいて時間もない中で書いたものだから、ありきたりな言葉で恐縮だが、そのカードに書いたものをここに個人の記録として残させていただきたい。
高畑 勲 様
高畑さんと宮崎さん、そして鈴木さんが出逢いジブリを作って日本に新しいアニメーション文化を生み出してくださったことに心から感謝します。高畑さんが残された素晴らしい作品はこの日本の誇りとして、いつまでも世界に残り続けます。ありがとうございました。
Rest In Peace.
高畑さん。
本当に素晴らしいアニメーションの新しい時代を作ってくださり、そして宮崎さん鈴木さんとジブリを作ってくださり、ありがとうございます。
これからもまだまだ、高畑さんの映画や著書を通して高畑さんの頭や心に近づけたら嬉しいと思っています。
ありったけの感謝をこめて。
以下、参考情報。
参考情報
高畑勲さん「お別れ会」 宮崎駿監督 追悼文全文(Huffpost Japan)
高畑勲さん「お別れ会」 宮崎駿監督は声を詰まらせながら、亡き盟友を偲んだ(追悼文全文)
4月5日に肺がんで亡くなったアニメーション監督の高畑勲さんを偲ぶ「お別れの会」が、5月15日に東京・三鷹の森ジブリ美術館で開かれた。 冒頭、宮崎監督が”開会の辞”として挨拶。宮崎監督は高畑さんと出会った東映動画時代を振り返りつつ、「パクさんは95歳まで生きると思い込んでいた」と、声を詰まらせながら盟友を偲んだ。 その全文を紹介する。 —— …
アニメーション、折にふれて(高畑勲 著)
2013年に発売された高畑氏のエッセイ集。
宮崎さんが追悼メッセージで話された禁煙について非常にチャーミングに語られているのが印象に残る。
ジブリ小冊子「熱風」のこと
ジブリの小冊子「熱風」は、全国の所定の書店にて無料配布されている。
都内在住の私は渋谷のTSUTAYAや、丸ノ内の丸善、八重洲ブックセンターなどでいただいている。
この月刊誌。敢えての紙限定。
ほぼ日新聞やってる糸井さんも「その手があったか」と唸ったという、鈴木流。
ジブリ成功の大きな要因が、両監督と鈴木さんの時代にたいする嗅覚と、ディテールやリアリティの追求。
熱風を読んでいると、彼らがどんなことに興味を持ち、それをアニメーションで表現してきたのか。
その根っこにあるものを教えてもらえる気がする。
芸術というものは、実にリアルで地に足がついたものだ。
ジブリを見ているといつもそう思う。
ジブリ「熱風」バックナンバー特集タイトルを一覧にまとめた。ジブリの15年間の好奇心をぜひ参照されたし。
『熱風』のあり方から考えるWebと活字メディアの未来(ジブリ汗まみれ)
2018年4月鈴木さんのラジオ「ジブリ汗まみれ」で「熱風」について特集された。
鈴木さんと編集の方々が詳しく話してくれているメディアに対する考え方がとても勉強になる。
放送の一部がPodcastで公開されている。
インタビュアーがネット関係者で「なぜネットで公開しないのか」と何度も聞いているのがオモシロイ。
敢えて紙という希少性は盲目的なネット信者にはとうてい理解できないのだろうか。
そういったネット信者たちの声を代表して聞いている部分もあるのだとは思うが。
インタビュアーTAITAIさんの取材記事。
→ ジブリ鈴木敏夫Pに訊く編集者の極意──「いまのメディアから何も起きないのは、何かを起こしたくない人が作っているから」
鈴木敏夫氏の「ジブリ汗まみれ」は iTunesのPodcastでも購読可能。
Podcast: Play in new window | Download