小冊子「熱風」でわかるジブリの正体。

小冊子「熱風」でわかるジブリの正体。

興味をもったことがあると、納得いくまでその追求がとまらないというクセがある。

だがそんな私でさえ、スタジオジブリに関しては、その底なし沼のような深みに戸惑うほどである。

ジブリとはいったい何なのか?

ジブリという会社、ジブリという産業が、なぜ日本でこんなに大きなムーヴメントになったのか?

その構造を知りたいという好奇心がとまらない。

それを知ってどうなるのかは、よくわからない。

それでも気になって、ずっとずっと考えている。

これからを生きるヒントがある気がして、どうしても目がはなせない。

 

ジブリから学びたいと思ったことをシンプルに3つにまとめた記事はこちら

 →スタジオジブリに倣え!伝説のアニメ制作会社3つの魅力。

 

ジブリ小冊子「熱風」がとまらない

じっさいに何から目がはなせないのかというと、ジブリの小冊子「熱風」のバックナンバー。

2003年から15年ぶんの「熱風」。

 

バックナンバー全タイトルはこちらにまとめてある。

 →ジブリ小冊子「熱風」バックナンバー全タイトルと所蔵図書館

 

国会図書館になんども通って読みつづけているが、まだ半分までもいかない。

この小さくてうすい雑誌に書かれていることはじつに深くて、そうサラサラとは読めない。

社会について、時代について、そしてアニメーションや娯楽について。

「アニメ映画をつくる」というおもてだった表現のうらでジブリが考えてきたことがこの「熱風」にあますことなく載っている。

 

スタジオ・ジブリという日本の小さなスタジオが、世界を虜にするまでになったのは、なぜなのか。

もちろん「これ」という一つの答えがあるわけではないだろう。

おそらくたくさんのことが重なり、そうなった。

あくまで結果でしかないことは分かっている。

だが、そういった思いをめぐらすヒントになるような人物やエピソードがぎゅっと凝縮されているのが「熱風」なのだ。

 

無料なのにスゴくて無料だからスゴい。

はっきりいって「熱風」はおもしろすぎる。

こんなスゴい雑誌が15年もただしずかに無料配布されてつづけていることにやや納得がいかないレベルだ。

(自分がながらくチェックできていなかったことも含めて)

 

特集テーマはいつも時代を先読みしているか、逆に提言していたりする。

ジブリが社会にたいして「じつは」思っているようなこともたくさん書かれている。

なるほどそんなふうに考えているから、あのような表現になるのか。

などと、表現たるもののおもしろさやクリエイティビティの奥ふかさまでも知るわけだ。

 

だが、それだけでない。

扱っているテーマはテクノロジーや言葉、働くこと、衣食住、娯楽など社会的/文化的なものばかり。

誰もが関係するようなことが多いし、自分の個人的な興味分野であることも多い。

そんなことで、自分の生きるこの時代、世界、そして生きること自体について、たいへん多くを考えさせられる。

さらにはそこから新しく読みたい本や興味分野がうまれたりする。

そんなふうに自分の人生に大きなスパイラルを巻き起こしてくれるのが「熱風」なのだ。

 

そんな偉大なこの冊子はちいさくて無料。

すごすぎて一瞬、わけがわからない気持ちになる。

だがあえて無料にすることで言論の自由が守られていることは少なくとも予想できる。

有料にすれば「買ってもらえる記事」を書かなければならない。

そうなると純粋に好奇心を追いもとめられなくなったり、書きたいことが書けなくなったりする。

無料であれば純粋におもしろさを追求できる。

鈴木さんはアニメージュの編集でさんざん雑誌を売ってきたから、そういうことには興味がもうないのかもしれない。

そんなことで、無料なのにスゴい。無料だからスゴい。

それがジブリ小冊子「熱風」なのだ。

「熱風」で知るジブリの深み

もちろんジブリ作品の制作について知らなかったエピソードを次から次と知ることにもなる。

鈴木敏夫さんが大好きで。

鈴木さんと宮崎さんの本を何冊か読んだだけで、もうだいぶジブリをわかった気になっていた。

だが「熱風」バックナンバーを読みはじめて、それが序章にすぎなかったことを知る。

この楽しさといったらこの上なく、もうパニック状態に近い。

徳間康快さんと、氏家齊一郎さん。

ジブリの影にいた大物はこの2人ぐらいしか知らなかったが、とんでもない。

高畑さんや宮崎さんとともにアニメーターとして一時代を築いた大塚康生さんや小田部羊一さん。

宮崎さんが愛してやまない堀田善衛さん、半藤一利さん、、、

他にもまだまだ、ジブリをそだて愛してきたすばらしい重要人物がいっぱいいた。

そしてまだまだ出てくると思われる。

 

ジブリについて知らないことや人が、まだこんなにたくさんあっただなんて、心底おどろきである。

人よりジブリの深さを知っていると思っていたが、あんなの序の口だった。

ほとんど知らなかったといっても過言ではないほどだ。

 

知っていたストーリー(それ自体もウラ話)のさらにウラに、まだこんなエピソードがあった、とか。

あの人の活躍のかげには、こんなにもたくさんの人がいたんだ、とか。

そういうことが、幾重にも幾重にもつらなっていて、どこまでいっても飽きない。

 

それでもまだ、知りたいことが山のようにある。

知ればしるほど、知りたいことが出てくる。

このレイヤーの深さこそが、素晴らしいアニメーションを世に送り出してきたジブリのすごさそのものでもある。

 

ジブリ「熱風」から広がる好奇心

さて、そんなふうに「熱風」バックナンバーを読んでいたら、おのずと時はすぎる。

バックナンバーだけでなく、そこで知った本を読んで、またそこで本やサイトを知って・・・という感じだ。

最近ではついに「幻影(イメジ)の時代」「プロパガンダ」といった大衆文化についての古典まで読むようになった。

けっきょく社会心理学というのがジブリがやってきたことであり、私の興味でもあるのかもしれない。

 

そんなことをしているうちに「熱風」の新刊がでる時期がくる。

あわてて書店におもむき、入手して、読む。

また面白い。

そしてまた読みたい本が増える・・・。

 

あまりの素晴らしさにどんどんブログでも紹介していきたいと思うのだが、これが進まない。

それには2つの理由があって、1つは「書くぐらいなら続きを読みたい」というほど面白いということ。

そしてもう1つは「熱風」は昨今のビジネス本のように読む人にやさしい書きかたがされていないこと。

つまりネット上の情報とはあまりに質がちがう。

わたしが引用して「これがおもしろい」といったところで、その面白さは紙媒体としずかに向き合う中でしか得られないという気もするのだ。

 

今のところ、ジブリのすごさは多々あれど、最後は「人」に集約されると感じている。

誰もが関わる人を認めあい、それぞれの持ち味を決して殺し合わない。

すばらしいアニメーション映画を作るというミッションに向かってたくさんの人が「自主的に、熱意をもって」動いている。

そしてその熱意を動かしているのが、宮崎さんや高畑さんの「才能と作品にかける想い」であり、それをとことん信じた鈴木さんの「人を動かす力」である。

 

自分の道を信じて進んでいくこと。そして人を信じること。

やっていることはシンプルに、たったそれだけのように思える。

だがこれこそが、簡単なようで難しかったりする。

こんな奇跡はもう二度と、他の会社では起こらないのかもしれない。

 

こういったプロセスから、私個人が学んだことも多くあった。

何年も前からあったこのジブリ追求熱の源は、鈴木さんへの憧れだと思ってきた。

宣伝やマーケティングなど、コントロールではないやり方で「人の心が動く瞬間」というものが好きで。

だから、すごい宣伝をした鈴木さんが考えてきたことを知りたい。

鈴木さんのようになりたい。働きたい。

そう思って、追求しているのだと思っていた。

実際にそういうところは、少なからずある。

 

だが、知るほどにそれだけではないということを感じるようになっている。

私が好きなのは、鈴木さんだけでなく、鈴木さんが宮崎さんを想う姿勢なのだ。

つまり私は、表現者の立場から、鈴木さんのような素晴らしいプロデューサーに経緯を払う気持ちが大きいのだということ。

 

これについては、別にどっちがどう、と決める必要はあまりない。

彼らとは生まれ育った時代も違うし、表現者といっても、私は宮崎さんのような一辺倒なキャラクターの芸術家ではない。(憧れはありながら)

どちらかというとバランスを重視するという意味では、たしかに鈴木さんに近い部分もある。

だが、そういう自分の表面的なキャラクターとはうらはらに、やはり表現者としての想いが強いと感じるようになった。

ただの、そういう記録だ。

 

さておき、とにかくジブリの小冊子「熱風」は面白い。

まだまだ興味はつきないし、とことん追求していきたいと思う。

 

これが私の人生においてどういう形で出てくるのかも、楽しみにしながら。