自分の軸をもつこと。

自分の軸をもつこと。

生きていくうえで、自分の軸をもつことはとても大切なこと。だけど、そのときに重要なことがふたつあると私は思ってる。

人の意見はそれぞれ

ひとつめ。

自分とちがう意見があることを、受け入れる。

あるトピックに対して、自分とちがう意見が世の中に存在するということは、書いたら当たり前のことだから、それを受け入れることなんてカンタンなように思えるけど、そうでもない。特に日本人はぜんぜんできない。

特に今の50前後以上ぐらいの人たちは、高度経済成長を一丸となって成し遂げた人々と、そういう人たちに教育されてきた人たちだから、なんでも一緒が好きだし、そうやって時代を築いてきたという誇りがある。

本当はそれって悪いところばかりじゃないけれど、その考え方で今の時代を生き抜くことは難しくなってきている。

誰かに自分の意見をいったとき「私はそう思わない」あるいは「私は◯◯だ」と自分とは別の意見を言われることがある。

そのとき、その意見を「そうなんだね」と受け入れることができず、「なぜだ」とか「だけど、それはおかしい」と相手の意見を責めてしまうことがある。

それは一見あたりまえのリアクションのように思えるが、実際、本当は相手の意見が何かということより「自分と同じかどうか」ということが、論点なのだ。

どちらの意見が本当に「妥当か」という冷静な状況判断は、その意見を受け入れられなかった時点でもうできなくなっている。

いかにして自分の意見が正しいか、証明しなければならない。だから相手の「非正当性」をつらつらと語ってしまうことになる。

それはただ、自分という存在や自分という人間の重要性を相手にわかってほしい、という一心なのだ。

意見がちがうというのは、意見がちがうというだけで、どっちが良い悪いじゃないし正解、不正解でもない。

たとえ相手が部下だとしても、我が子だったとしても、誰かに対して「違う」「ダメ」という権利は、ほんとうは誰ももってない。

実のところ、自分と意見が違う人を否定したくなるのは自分に自信がないからだ。

相手に否定されたと思いこんで、反撃しているということが多い。

ではなぜ自信が持てないか?

練習不足?努力不足?知識不足?経験不足?

それともコンプレックス?トラウマ?

答えはそのときそのときで違うけど、ここまで掘ったらもうわかる。

これは相手との「対決」ではなく、自分との「対峙」なのだ。

これをきっかけに自分の中にある「恐怖」を克服すれば、こういった無駄な争いはどんどん減っていく。

だがここで、表面的な勝ち負けにこだわって相手を言い負かしたところで、また同じ問題が起こる。

人が自分と違う意見を言うなんていうことは、いつでも起こりうるわけで、それに対する反応を変えない限り、繰り返される。

自分に自信があれば、人と意見が違うことは怖くない。

誰もが違うということを知っていれば、相手の意見すら尊重できる。

自分とは違う誰かを責めたくなったときは、内面に立ち戻る勇気をもてるといい。

何回かに一回でも、気づいたときだけでも、大きな変化につながる。

自分の意見も変わっていい

ふたつめ。自分の軸も変わりゆくのだということ。

これは私も最近になってやっと受け入れ始めて、勉強中といったところ。

誰もがさいしょは、自分の軸を探していて、軸はコレだ!というものを、少しずつ見つけて積み重ねていく。

でも、そこはゴールではない。

一度みつけた軸を一生かかえて生きていく必要はないし、そこで生きるための学びをやめてしまっては、人生は止まってしまう。

ひとむかし前までは、20代で軸をみつけて、30代でそれをつちかって、40代ぐらいになると何かが完成して、それを定年までつづけて、リタイアしたらのんびり余生を送るというのが正しい生き方とされていたみたいな風潮があった。(実際そうとは限らないのだけれど)

今でもそういう考え方は根づよく残っているし、モチロン間違いでも、ヘンでもない。立派な生き方だ。

だが、そういう生き方だけが「正解」という時代は、もう終わった。

生き方も暮らし方も、価値観がいっそう多様化して、個人レベルでえらぶ時代。

どんどん変わりゆくスピード感のある人生を楽しんでいけることが大切ではないか。

 

ただし。

それでも誰の人生にも、変わらないものは絶対にある。それはたいてい、当たり前の日常の中にあったりする。

家族だったり自然だったり私なら、音楽だったり。

そういうものはそういうものとして、しっかり受け止めて大切にする。

変わっていく自分も、変わらない自分も、どちらの自分も愛して生きる。

そんな人生がいいと、私は思う。

 

クラシックが好きだからブルースは嫌いとか、生楽器が好きだからコンピューター音楽が嫌いとか、正解をひとつにしてこっちが◯、あっちは✕とするのはナンセンス。

あれもこれも、相反するようなものをどっちも好きでもいいじゃない。定義なんて、理屈なんて、ただ人間が、あとづけで作った箱にすぎないのだから。

オペラが好きでEDMが好きでもいいじゃない。自分は聴かないもの好きといってる人がいてもそれもいいじゃない。

 

こういうことを言うと「軸がない」と勘違いする人がいる。でもそれは違う。絶対的な軸がある。

心が動くかどうか。いい音楽かどうか。幸せになるかどうか。

自分が感じたことには絶対にウソがない。それが揺るぎない軸。

ただ、すべての人が「自分」という軸をもつ権利があるということ。それは誰にも否定できない権利ということ。

 

人生も音楽も、そうやって決めるのがいい。

と、私は思う。