安心は、自分の中にある。

安心は、自分の中にある。

安心や安定は、お金やモノや誰かにもらうものではなく、自分の中に存在する絶対的なものである。

 

言いようのない安心感につつまれ、自分が自分に「返っていく」感覚。

そういうものは、誰にでもあるハズだ。

子どものころ、何かに夢中になったときと同じ感覚だと思えば間違いない。

やり終わったあと頭がスッキリして視界がクリアになって、もう他に何もいらないと思えるもの。

それが自分らしさであり、絶対的な安心感だ。

繰り返すが、そうなれる何かは必ず誰にでもある。

そして一つではなく、たくさんある。

 

人生を楽しむことは、簡単か?

私もつい最近まで、そういったことをただ「楽しい、夢中になれる」ぐらいにしか思っていなかった。

そしてどこかで「それだけでは生きていけない」と思っていた。

 

だが考えが変わった。

というか、半信半疑でやっていたことが確信へと変わった。

 

正解は「それだけでしか、生きていけない」のだ。

 

あなたが呼吸をするように続けていること。

他の誰かには言えないけど、実は楽しくてたまらなくて、夢中になって時間を忘れるようなこと。

考えなくてもなぜか答えがわかったり、それが正しいと自然に思えるようなこと。

 

そういうものを「これが自分だ」と気づき、人生の中心に据えること。

そしてそれを、誰にも邪魔させずに自分で守り育てていくこと。(ここが肝心で、これが覚悟となる)

 

それこそが重要であり、お金や地位や名声から自由になるたった一つの方法なのだ。

 

今この時点で「これだ」と胸を張って言えるものが思いつかない場合もあるだろう。

だが心配する必要はない。

「見つける」「取り戻す」と決めて辛抱強く探していけば、必ず見つかる。

 

それを探す方法は、いたってシンプル。

 

「これだ」と思うことを、どんどんやる。

「これだ」と思わないことを、どんどんやめる。

 

書いてしまうとシンプルだが、じつは簡単ではない。

なぜなら、めちゃくちゃ怖いからだ。

 

こう思った人も多いと思う。

「やりたいけど、物理的にできない」

「やめたいけど、物理的にやめられない」

 

そういう場合は、まずその「物理的なもの」が本当に存在するのかを疑うことから始めなければならない。

 

同じ立場になったら、100人が100人、本当に同じことを言うだろうか?

それはただの、一つの考え方に過ぎないのではないか?

同じことを言ってくれそうな人の意見ばかり採用していないか?

自分を守っているつもりで、実は傷ついている自分をないがしろにしていないか?

 

そして気づく。

100%不可能な未来なんて無いということに。

 

だが、それでもやっぱりやるのは怖い。

 

なぜか?

恐怖というのは、必ず外的なことに起因する。

それまで培ってきた自分、積み上げてきた自分。

役割、立場、スキル、プライド、地位、お金、モノ。

そういうものを失う気がして怖いのだ。

 

正確にいえば「失うことが怖い」と思っているから、怖い。

 

何かを失うことは、怖いことではない。

失ったら必ず得るものがある。

失わないと得られないものだってある。

失っても命を取られるわけではない。

 

さらに突き詰めれば、自分が得てきたものは「もう既に得たもの」だから、絶対に無くならない。

よくよく考えれば当たり前のことだ。

 

つまり、誰かに嫌われることや認められないことを怖がっているだけなのだ。

 

だから、ただ飛べばいい。

 

怖いけど、飛べる気がするから、飛ぶのだ。

「怖い」と思っているそのままのあなたで、飛べばいいのだ。

 

「できるかもしれない」理由を考える

やりたいことをやる。

やりたくないことを、やらない。

 

そうやって「本当の自分」を作り始めればいい。

何歳だろうと、どんな立場だろうと。

 

もちろん、ムリをする必要はない。

急に大きな振り幅でその恐怖を乗り越えようとすると、それはそれでぶり返してしまう。

自分を鼓舞して「ええい」とやりすぎると、怖くて怖くてすぐに耐えられなくなる。

じつは私はコレをよくやってしまう。。。それもまた人生。やらないよりはヨシとするしかない。

 

気持ちというのは正直なのだ。

「絶対にムリだけどやるしかない」と自分を追いこんで清水の舞台から飛び降りても「やっぱりムリだった」となる。

だが「ひょっとしてできるんじゃないか」と思ってやると、それは「やっぱりできた」となるのだ。

 

だから今日のあなたができることは、一つ。

 

あなたが本当にやりたいことを「できるかもしれない」と思ってみる。

そしてその理由を、なんでもいいから考えてみる。

 

ずっとずっと好きだったし。

それをやっている人もいるし。

じつは結構、人から褒められたりするし。

やってみたらと言ってくれた人もいるし。

やってみてムリだったら、やめればいいんだし。

そもそもなんで、やってないんだっけ?(これおすすめ)

 

あるいは、あなたが本当はやりたくないことを「やめれるかもしれない」と思ってみる。

そして「やめれる」理由を考えてみる。

 

本当はやめたいって思っているわけだし。

簡単にやめれる人もいるんだし。

命とられるわけじゃないんだし。

その方が、自分好きになれるかもしれないし。

やめてムリなら、やめるのをやめてもいいんだし。

そもそもなんで、やりたくないのに続けてるんだっけ?(これおすすめ)

 

そうやって目の前の小さなことから取り組んでいく。

「やってみよう」と決めて実行する。

 

もちろん最初に踏み出した一歩で、必ず何らかの結果が得られるとはかぎらない。

むしろ「やっぱりこれも違うな」ということのほうが多いかもしれない。

これこそが、続けていくのが困難な理由だったりする。

多くの人が「やっぱり違うな」と思うと諦めて元の道に戻ってしまう。

 

だがじつはこの「やっぱり違うな」が肝心である。

「やっぱり違うな」の連続でこそ「自分じゃないもの」を削ぎ落としていけるからだ。

 

頭で「違うかもしれない」と思っているだけでは捨てられない。

ちゃんと実行しないかぎり「じつはそれが正解かもしれない」という想いは消えない。

だから「違うかもしれない」と思っても実行するしかない。やってみるしかない。

その繰り返しでしか、その先には行けない。

 

やってみたけど、やっぱり違う。

また別のことをやってみたけど、やっぱり違う。

 

そんなことを繰り返していると、ふと思うかもしれない。

行ったり来たりでまるで意味のない日々を送っているのではないか。と。

 

だがしっかり自分と向き合っていれば、ちゃんと人生は「なりたい自分」に向かっていく。

目に見えない、形にならない部分の自分の成長をないがしろにしてはいけない。

ほんの少しでも進化している自分の内面をしっかり信じてあげてほしい。

 

そして、それが形になって現れ始めるときは、絶対にくる。

徐々にも来るし、突然もくる。色んな形でやってくる。

あぁ、これでよかったんだという言いようのない安心に包まれる日は、絶対にくる。

どんなに停滞していると思っても、どんなに見つからないと思っても、だ。

 

だから、どうかその「安心できる自分」に向かっていってほしい。

今日の小さな一歩を踏み出してほしい。

 

せっかくの、一度きりの人生なのだから。